ウイルスベクターの危険性と可能性|4つの応用例を紹介
ウイルスベクターは選択性の高い遺伝子送達技術として近年大きな注目を集めているものの、人体へ適用する上では危険性も指摘されており、いまだ課題も多い。本稿ではウイルスベクターの特徴とその応用について解説する。
ウイルスベクターとは?ウイルス、そしてウイルスベクターの定義
まず、ウイルスベクターの紹介をする前に、そもそもウイルスとは何なのかについて簡単に触れておきたい。
ウイルス
ウイルスとは、他の生物の細胞を利用して自己を複製させる感染性の構造体だ。自己のみで増殖する機能を持たず、この点が細菌や真菌と異なる。
ウイルスはタンパク質からなる外殻(カプシド)の内部に核酸(DNAまたはRNA)を包含する。さらに、一部のウイルスはカプシドの外側にエンベロープと呼ばれる膜を有するが、このエンベロープは細胞の特定の構造との結合性を増し、感染性を高める役割を持つ。
ウイルスは以下のようなプロセスで増殖する。
- 特定の細胞に吸着した後、外殻を破って細胞内部に侵入し、核酸を放出する
- 宿主となった細胞は放出された核酸に含まれる遺伝情報を元に新たな核酸やタンパク質を合成する
- タンパク質や核酸が集合してウイルスの構造を形成し、細胞外部に放出される
つまり、ウイルスは特定の細胞のみに働きかけ、遺伝情報を送達できる。この機能を遺伝子工学や医療に応用しようとするのが、ウイルスベクターの概念だ。
ウイルスベクターの特徴
遺伝子工学におけるベクターとは、遺伝物質を人為的に細胞へ導入することを目的とした運搬体だ。
例えば、遺伝子組み換え食品を作りたい場合は、アグロバクテリウムという細菌をベクターとして遺伝物質を乗せ、農作物の遺伝情報を書き換える。遺伝子組み換えを行った農作物だけが生育できるように環境を整え、これを増やせば遺伝子組み換え食品が完成する。
ベクターの種類としては、先述した細菌やウイルス、人工染色体などがあるが、このうちウイルスベクターは人為的に改良したウイルスを遺伝子送達に用いる。
他のベクターと比較したとき、ウイルスベクターの長所は優れた遺伝子送達能力だ。ウイルスはその進化の過程で感染力を高めてきたが、この感染力が遺伝子送達に寄与している。
加えて、ウイルスベクターは遺伝情報を送った先で再生産されることから、投与した直後だけでなく長期に渡って影響を与えることが可能だ。これらの特徴から、ウイルスベクターは長期と短期、両方の遺伝子治療に利用できる。
一方で、ウイルスの種類によっては人体に過剰な免疫反応を引き起こすことが知られており、1999年にはウイルスベクター利用による死亡事故も発生している。本件は、ビジネスとしての医療が利益追求のために人を死に至らしめる可能性について教訓を与え、ウイルスベクターの実用化にブレーキをかけた。
以後10年ほどの間は安全性の高いウイルスベクターの開発に注力されてきたが、近年ではウイルスベクターを用いた臨床試験も増加傾向にある。30年間以上のウイルス学研究の蓄積によって、ウイルスベクター技術は飛躍的な進歩を遂げた。
4つの応用先|医療と脳機能研究における利用
ここからは、ウイルスベクターの用途を紹介していく。
遺伝子治療
ウイルスベクターは遺伝子の発現(遺伝情報が構造や機能に変換されること)を変えたり、機能不全の遺伝子を修正したりすることができ、これまで有効な治療法が見つからなかった病気に対する新たな治療法として大きな期待を集めている。
医療応用における代表例は、遺伝子の機能不全に起因する疾病の治療だ。
Glyberaは単一遺伝子疾患の治療薬として2012年に世界で初めてウイルス遺伝子治療薬として承認された。リポタンパク質リパーゼ欠損症という代謝疾患の治療薬で、修正された遺伝子を送達し、標的細胞内の機能不全遺伝子を書き換える。
Glyberaは一定の効果が認められたものの、症例が少なく治療薬自体が高価だったため2017年に販売終了した。
現在は遺伝子の機能不全に起因した網膜疾患、神経疾患の治療にもウイルスベクターが活用されている他、新たな治療薬の開発も進められている。
がん治療
遺伝子の機能不全に起因する疾病の中でもがんはその症例が非常に多い。がんに対する有効な治療法としてウイルスベクターの開発が進められているが、この作用機序は上述した遺伝子治療薬とは異なる。
IMLYGICは、がんに対するウイルスベクター治療薬として米食品医薬品安全局(FDA)に承認された最初の治療薬だ。切除不能な悪性腫瘍の病変部位に直接投与する形で用いられる。
このウイルスは癌腫瘍内で選択的に複製され、正常細胞内では複製されない。また、細胞の免疫システムを回避する機能が人為的に除去されている。よって、がん細胞周辺で局所的に人体の免疫反応を刺激し、がんを溶解させることが可能だ。
同じような作用機序で自然免疫を活性化させ、腫瘍を溶解させる遺伝子治療薬としては他にもOncorineやデリタクトがある。これに対し、中国で2003年に認可された遺伝子治療薬である Gendicineは、細胞が持っている自然死機能(アポトーシス)を誘発させる。
どの治療薬についても、現状ではがん腫瘍に直接投与する形でしか用いることができない。治療の効果を高め、副作用を抑えるとともに、経口投与に耐えられるなどの利便性向上やベクター作製プロセスの簡略化によるコスト低減も今後の課題だ。
ワクチン
現在、ワクチンとして認可されたウイルスベクター製品は、複製機能を持たず、標的ウイルスの表面タンパク質のみを発現させるように改変されている。細胞内で生成された表面タンパク質が免疫を刺激し、ウイルスへの耐性を獲得する仕組みだ。
他のワクチンと比べ、ウイルスベクターワクチンは細胞まで効率的に到達・侵入できる利点を持つ。また、ワクチンの効果を高めるための補助的薬剤(アジュバント)が必要ない。アジュバントは重篤な副反応がしばしば問題となっており、ウイルスベクターの利用によってこれを回避できる。
他方、ウイルスベクターがヒトに感染するウイルスに由来する場合には、接種前の免疫状態がワクチンの機能に影響を及ぼし、ワクチン効果が減弱する恐れがある。
また、一部のウイルスベクターは染色体上のランダムな位置に遺伝子を転写するが、これによって発がんのリスクがある。
脳機能研究における遺伝子導入
脳神経系の機能に関しては未だ解明されていないことが多く、これを研究するためのツールも限られていたが、2007年ごろには光遺伝学という新たな研究分野も登場し、研究が盛り上がりを見せている。
光遺伝学は遺伝子工学と光学を組み合わせた研究分野だ。げっ歯類などの実験動物においてニューロンの一部に光によって活性化する機能を発現させ、これを脳に埋め込んだ光学デバイスで随意活性化させる。光信号の入力に伴う細胞の反応を観察することで特定のニューロンの機能を解明することが可能だ。
ウイルスベクターは光によって活性化する機能を発現させる際に用いられている。
まとめ
かつて死亡事故が発生したようにウイルスベクターは相応の危険性がありつつも、これまで治療が困難だった疾病を治癒させる可能性を秘めたものだ。今回、取り上げたような具体的症例を持つ人にとっては、期待もあるだろう。
一方、日本国内においては山中伸弥氏らの研究グループがウイルスベクターを用いずに人工多能性幹細胞(iPS細胞)を樹立させた。こうした背景があるからか、内閣府の科学技術政策などでウイルスベクターの文字はあまり目立っていない。今後も国内の研究開発においては、同じ課題解決を目指す場合にはウイルスベクターより再生医療に重点が置かれる可能性がある。
参考文献:
※1:コロナ関連コラム 第1回 ウイルスとは何か?, 京都産業大学(リンク)
※2:よくある質問 - 基礎編, バイテク情報普及会(リンク)
※3:Viral Vectors in Gene Therapy: Where Do We Stand in 2023?, Kenneth Lundstrom, MDPI(リンク)
※4:5.ライフサイエンスと利益相反, 河原直人(リンク)
※5:遺伝子治療分野における研究開発の状況と課題について, 藤堂具紀他(リンク)
※6:Viral vector‐based gene therapies in the clinic, Samir Mitragotri他, 米国立医学図書館(リンク)
※7:The million-dollar drug, Kelly Crowe, CBC-カナダ放送協会(リンク)
※8:Oncolytic virus therapy: A new era of cancer treatment at dawn, 藤堂具紀他(リンク)
※9:世界初の脳腫瘍ウイルス療法が承認, 東京大学医科学研究所(リンク)
※10:組換えウイルスベクターワクチン:新興感染症に対するワクチン開発の取り組み, 渡辺登喜子(リンク)
※11:Developments in Viral Vector-Based Vaccines, 島田勝他, MDPI(リンク)
※12:An optical neural interface: in vivo control of rodent motor cortex with integrated fiberoptic and optogenetic technology, Karl Deisseroth他, 『Journal of Neural Engineering』2007年7月(リンク)
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