アグリテックという言葉が浸透して久しい。日本ではこれとほぼ同義とされる「スマート農業」の初出が、2013年11月に農林水産省が組織した研究会の名称だというから、少なくとも概念としては10年以上の月日が流れたことになる。

その割にはアグリテックが生み出している成果を感じる機会が少ない、と思う方もいるだろう。本稿では、アグリテック企業の中でも大きなプレゼンスのあるIndigo Ag(以下、Indigo)の最近のニュースと主要な事業について取り上げる。ここから、アグリテックの可能性と難しさを探ってみたい。

Indigoの概要と最近の経営状況について

Indigoは、工学者であり同社の現Chief Innovation Officer(CINO)であるGeoffrey von Maltzahn氏の「マイクロバイオーム(土壌内の微生物コミュニティー)が植物の生育に大きな影響を与える」という仮説の下、2014年、米ボストンで設立。

この時、共同創業者・CEOを務めたのが、ライフサイエンス分野でのシリアルアントレプレナー(連続起業家)であるDavid Perry氏だ。Perry氏は2020年、「Indigoとは別に共同創業者を務めているBetter Therapeuticsに時間を費やしたい」として、同社から去っている。

初期からIndigoに出資しているのは、Flagship Ventures(現Flagship Pioneering)である。Flagship Pioneeringは、初期のModernaに投資するなど、こちらもライフサイエンス分野を主要なドメインとするVCだ。

その他のIndigoの概要は、以下をご覧いただきたい。

  • 設立年:2014年
  • 拠点:米マサチューセッツ州ボストン
  • 資金調達フェーズ:Later Stage(未上場)
  • 資金調達額:1.4b$(約2,170億円)

2023年8月、ウェブメディア「CTech」は直近で行われた資金調達において、Indigoの評価額が2021年の3.5b$から200m$へと94%も減少したと伝えた。Indigo側はこれに対する声明を発表していないが、評価額減の要因にはIPOの計画の頓挫、アグリテックがまだ発展途上の分野であること、2023年中に2度の人員削減が行われた点があると見られる。

そして2024年2月には、これまでIndigoの取締役を務めていたDean Banks氏が、Indigo、ならびに出資者であるFlagship Pioneering両社のCEOに就任した。

Banks氏の就任に先立ち、IndigoのRobert Berendes会長は「会社を成長と収益性の次の重要な段階に導き、最終的には企業、農家、そして地球のための Indigo プラットフォームの可能性を最大限に実現してくれると私は確信している」とコメントしており、収益化を意図した人事とも見られる。

Indigoの主要な3事業|農家の生産性向上を目指す

とはいえ、Indigoはアグリテックの世界で相応のプレゼンスを有する。ここでは、Indigoがウェブサイト上で「Solutions」として取り上げ、特にフォーカスしている3事業を紹介する。

  • Cabon by Indigo
  • biotrinsic
  • Market+

Carbon by Indigo:カーボンクレジット×農業

植物を育てれば光合成により二酸化炭素(CO2)が吸収され、酸素が放出される。

それにもかかわらず、現状の農業は多くのCO2や温室効果ガス(GHG)を排出している。なぜかというと、生産の過程で化石燃料を使う化学肥料が多くの農家で用いられていたり、エンジンの付いた農機を動かす際にCO2を排出したりするからだ。

世界のCO2排出量のうち、1割は農業由来とされている。

そこでIndigoが進めるのが、土壌を改良して土中に貯留されるCO2を増やし、それを元にカーボンクレジットを発行する、というビジネス「Carbon by Indigo」だ。

Carbon by Indigoは、農家や農地の所有者が土地をIndigoに登録(「SIGN UP」と呼ばれる)するところから始まる。これを受けてIndigoは、土壌内のCO2貯留量を増やす支援を実施。

土壌改良後、土地からサンプルを採取し、CO2貯留量を計算する。それに基づきカーボンクレジットが発行されるという流れだ。1カーボンクレジットの最低価格は20$。Indigoは農家・所有者に対し、クレジットの平均価格の75%を還元することをアピールする。

このビジネスが始まったのは2018年。Indigoは、これまで2850の農家、6.9mエーカー(2.7mヘクタール)の土地が登録されたとしている。また、発行されたクレジットの数は296kに上るという。最低価格の20ドルで計算したとしても、総発行額は5.9m$(約893m¥)だ。これを基にすると、農家・所有者に支払われる75%は、4.4m$(約672m¥)となる。

一方で参考文献※9のように、IndigoによるCO2削減の主張に懐疑的な見方もある。ここは、第三者の客観的な検証も必要になりそうだ。

Carbon by Indigoにおける初回のプロジェクトは米地域で始まり、今後、EU域内でも行われる予定だ。また、日本を含むアジア地域では、住友商事と提携の上で事業を推進していくことが2021年に発表された。

biotrinsic:線虫駆除剤の展開

前述のように、Indigoはvon Maltzahn CINOのマイクロバイオーム研究から始まった企業だ。こうした研究成果が生かされているプロダクトが、biotrinsicである。

biotrinsicは、線虫駆除剤だ。字面から、化学的な農薬や遺伝子組み換えをイメージするかもしれないが、語頭に「bio」の文字が入っているように生物学的手法で生産されたものである。

このプロダクトを作る上でのIndigoの基本的な考え方は、「植物の中でも強く繁栄している種が内包する微生物により、農場・圃場でもストレスに耐えられる作物を生み出す」というもの。そのためIndigoの研究チームは、世界中の土地の植物を調べ回り、強く生き残っているものを研究室へ持ち帰っているという。

以上の積み重ねにより、Indigoの微生物株のポートフォリオは36kを超える。biotrinsicは、これらの微生物株を土地や作物に合わせて粉末、液体の形状に配合され、農家で使われている。また、biotrinsicを使用しつつ実際に農家でできた作物を確認するといったフィードバック作業も実施。Indigoのウェブサイトでは、そうしたbiotrinsic使用の作物と不使用の作物の比較写真、生産性が上がったとの事例を農家からの声として掲載している。

Market+:農家向け営業プラットフォーム

Indigoは、穀物のサプライチェーンにおけるSaaS的な事業も行っている。それが「Market+」だ。

この事業は、von Maltzahn CINOの「同じ穀物でも、地下水を使わない、農薬を使わない、などと農家によって特徴が異なるのに、サプライチェーンに乗るとそれらが無関係に購買されている。よって、穀物がコモディティ化している」との気付きから始まったもの。

Carbon by Indigoと同様に、まず参加したい農家がMarket+に登録する。その登録時のデータや検証を基に、Indigoは農家に対する収入増のためのサポート、適正な価格の提示を行う。農家はMarket+上で、企業、バイヤーと直接、価格交渉ができる仕組みだ。

Indigoによると、Market+の利用による農家の収入増加は、1エーカーあたり15〜30$としている。

Indigoを活用する大企業の事例

住友商事との提携が発表されたことに見られる通り、Indigoに関心を寄せる大企業が存在する。ここでは、Indigoの事業を活用する大企業の事例を2つ取り上げる。

  • THE NORTH FACE
  • Anheuser-Busch

THE NORTH FACE

アウトドアブランドのTHE NORTH FACE(TNF)は、環境保護活動に注力する企業としても知られる。

Indigoとの関係においては、Indigoを利用する農家からのサステナブルなコットンの購買、そしてCarbon by Indigoの購入をしている。TNFの親会社であるVF Corporationは、2025年までの「最高級素材を100%リサイクル」「責任を持った再生可能エネルギーの調達」を掲げており、Indigoの活用はその取り組みの一つだ。

Anheuser-Busch

ビール「Budweiser」で知られるAnheuser-Busch (AB)は、IndigoのMarket+を通じて米を調達する。ビールの原料というと麦とホップを思い浮かべるが、ABの創業者であるAdolphus Buschが「すっきりとさわやかな味わいを加え」るために、ビールの生産で初めて米を添加した。

この取引で、農家側はエーカーあたり最大27$の収入増となった。また、米の生産にあたり、水や窒素の他、GHGを削減しており、CO2の削減量は約5kトンだという。

ABも2025年のサステナビリティーゴールズを定めており、そのための取り組みの一環だ。

求められるアグリテックの持続的なビジネスモデル

Indigoの企業価値が最近、急激に減少したことを本稿で述べた。

先進技術の中でもアグリテックが特に新興の分野であることが原因の一つだが、そもそも農業は環境負荷だけでなく金もかかる一方で、農家には大企業が保有するような大規模な投資資金余力はないことが多い。グローバルに見ても、多くの国が補助金を出しながら、農業を維持している。

一方で世界の人口は今後も増え続けることが想定され、アグリテックにかかる期待は大きい。その重要性は現在よりも更に増していくだろう。

Indigoのように先進的なベンチャー企業でも相当に苦戦している様子が伺え、事業展開のスピードを上手くコントロールしながら、時間をかけて持続的なビジネスモデルの構築に取り組む必要がある。いわゆるIT系のテック企業のような資金調達と急速な投資の経営スタイルは、かなりリスキーとなるだろう。


参考文献:

※1:NAPA リサーチ・レポート 2018, 野村アグリプランニング&アドバイザリー(リンク

※2:Start-Up Spotlight: Indigo Ag, Successful Farming(リンク

※3:Indigo CEO David Perry Discusses Re-Branding and Raising $56m Series B, AFN(リンク

※4:Indigo Agriculture Names New CEO, David Perry Steps Down, THE DAILY SCOOP(リンク

※5:Indigo AG valuation down 94% to $200 million in latest funding round, CTech(リンク

※6:‘No comment’ from Indigo Ag on valuation nose-dive report, AFN(リンク

※7:Dean Banks Appointed CEO of Indigo Ag and CEO-Partner of Flagship Pioneering, Indigo(リンク

※8:地球温暖化と未来の農業を考える②, 住商アグリビジネス(リンク

※9:Carbon, Indigo(リンク

※10:この地球に「1兆本を植樹」すれば気候変動に対処できる? 正論に見えるアイデアに潜む根本的な問題点, WIRED(リンク

※11:日本およびアジアを中心とした農地炭素貯留の事業推進に向けた協業について, 住友商事(リンク

※12:「農家の利益」と「気候変動対策」を両立させる、ある農業スタートアップの挑戦【The Regenerative Company:Indigo Ag】, UTOPIA AGRICULTURE(リンク

※13:Fashion Forward: The North Face Sources Sustainable Cotton, Indigo(リンク

※14:Farmers save over 2 billion gallons of water, reduce greenhouse gas emissions 26.6% in one growing season through Indigo Ag and Anheuser-Busch partnership, Indigo(リンク