近年、人の生体情報を取得し、人間生活に活用できるプロダクトが見られるようになっている。たとえば、スマートウォッチで睡眠中の体の動きや心拍数などをモニターすることで睡眠の質を判定し、日々の睡眠についてのアドバイスを受けられる。

一方、ロボット技術の発展により、産業分野や医療分野においてロボットが人を助けるというシーンが広まった。たとえば、外骨格型のロボットスーツを装着し、重い荷物を繰り返し運ぶ作業をアシストするプロダクトがリリースされている。

このような人の情報とロボットや機械の情報を繋げる形で様々な製品に活用されようとしているのが、サイバネティクス技術だ。 本記事では、サイバネティクスの定義を解説し、サイバネティクス技術の応用先、サイバネティクス技術を活用したプロダクト・技術を持つスタートアップを紹介する。

サイバネティクスとは

サイバネティクスは、学術における言葉であり、そこで蓄積されたナレッジや技術が産業利用されるようになっている。サイバネティクス技術の中でもとりわけ重要になるのが、生体信号処理技術とロボット技術だ。

サイバネティクスの定義|関連する学問分野は多岐にわたる

サイバネティクス(cybernetics)は、ギリシャ語の「kybernetes」(キュベルネーテース。舵取り人)を語源とした科学分野である。サイバネティクスでは、生物学的な制御システム(人間の神経系や内分泌系など)と機械的な制御システム(コンピュータやロボットなど)の間の類似性と相互作用を研究する。

サイバネティクスの定義はさまざまな解釈があるが、もっとも有名なものはノーバート・ウィナーが提唱した「『control and communication in the animal and the machine』(生体と機械の通信・制御)に関連したもの」である。

この定義をかみ砕くと、サイバネティクスは「生体情報を機械にフィードバックして、その情報を機械が有効に制御することで、人間の生活を便利・豊かにする科学分野」だと解釈できる。

サイバネティクスは、情報通信理論、システム理論、制御理論、コンピュータ科学、人工知能など、多くの学問分野にまたがるものであるが、その本質は「生体情報を機械の制御に応用すること」だ。サイバネティクスは、人間と機械の融合を通じて、新しい技術や製品を生み出すための鍵となる分野である。

サイバネティクス技術|生体信号処理技術とロボット技術

サイバネティクス技術の例としては、義肢や人工臓器、神経インターフェース、人間とロボットの相互作用を可能にするシステムなどがある。たとえば、筋電をロボット義足の歩行やロボット義手がつかむ動作をするための情報に用いることで、身体的な障がいを持つ人々が日常生活を送るのを助けられる。

また、人間の思考や意識を理解し、模倣するというのもサイバネティクス技術のひとつといえる。これにより、将来的には人間の思考や意識をデジタル化し、人間の知識や経験に基づく「身体知」をデジタル上で再現することが可能になるかもしれない。

サイバネティクスはさまざまな理論や技術から構成されるが、特に重要な技術分野として、生体信号処理技術とロボット技術がある。

生体信号処理技術

生体信号処理技術は、生体から得られる信号(生体信号)を計測し、その信号を解析して有用な情報を抽出する技術のことを指す。生体信号には、脳波、心電図、筋電図、音響信号(人間の声や動物の鳴き声)、温度(体温)などがある。

生体信号処理技術を用いて、人間の身体や脳から得られる信号を解析し、その情報を機械に伝達することで、人間と機械の融合を実現する。

この技術は、信号の前処理、信号分解、特徴解析、分類などの基本手法を用いて、生体信号から有用な情報を抽出する。近年では、AIによる信号処理の最新アルゴリズムも活用されている。

生体信号処理技術では、ノイズ対策が課題だ。生体信号の計測や解析は、きれいなデータを安定的に計測することが難しく、ノイズによるデータの欠損が生じやすい。そのため、正しいデータが計測できる環境作りや、適切な信号処理アルゴリズムが重要となる。

ロボット技術

ロボット技術は、機械やシステムが人間の動作や行動を模倣または補完するための技術である。この技術は、産業用ロボットから家庭用ロボット、医療用ロボットまで、さまざまな分野で応用されている。

サイバネティクスにおけるロボット技術は、生体情報をロボットに入力・フィードバックさせることで、人間の能力を拡張したり、人間の動作を補助したりするロボットを実現がポイントになる。

近年ではAIやIoT技術をロボットに組み合わせることがトレンドになっている。これらの技術は、ロボットの自律的な動作や、ロボットと人間とのスムーズなコミュニケーションにおいて有用である。

サイバネティクス技術の応用分野

学問としてのサイバネティクスは多岐の分野にまたがるものだが、サイバネティクス技術の応用について、今回は産業分野の2つと医療分野の1つの例を紹介したい。

産業分野:熟練技術をロボットで再現

産業分野では、熟練作業者の身体知であるカンやコツを、遠隔操縦を介してロボットに再現させる試みがされている。

その一例として、川崎重工の「Successor」というロボット遠隔操作システムが挙げられる。Successorでは、人間がコミュニケーターと呼ばれる専用コントローラを使って産業用ロボットを遠隔操作する。コミュニケーターとロボットの手先には、それぞれ力覚センサーを搭載。ロボットの動きが人間の手元に伝わることによって、熟練作業者の微妙な力加減(カンやコツ)をロボットの動きにトレースできる。

産業分野:作業支援外骨格スーツ

人の作業を支援する外骨格スーツという形での応用もある。ほぼ同じ機能を持つパワードスーツやアシストスーツと呼ばれるものが産業用途のデバイスとして定着しつつあるが、サイバネティクスの応用という点では生体信号を読み取り人の意思をスーツの動きに反映させているところが特徴だ。

後述するスタートアップのサイバーダインは、腰に装着するタイプのデバイスを生産しており、ANAの貨物作業員、海老名市消防本部の救急隊員などといった肉体的負担の大きい作業者の支援に活用されている。

医療分野:生活支援の装着型スーツ / デバイス

医療分野では、装着型サイボーグや健康管理システムなど、患者の生活の質を向上させるためのプロダクトに応用されている。

たとえば、筋肉を動かそうとするときに発生する微弱な電位信号(筋電位)などの生体信号に基づき装着型サイボーグを制御する、という技術がある。具体的なプロダクトは、後ほどのスタートアップ紹介で解説する。

サイバネティクス関連のスタートアップ

ここまで見たようにサイバネティクスの定義は広範で非常に曖昧なものである。そのため、どこまでをサイバネティクスに含めるか悩ましいところであるが、いくつか代表的な企業を紹介したい。

なお、海外においてはサイバネティクスという切り口やキーワードを使って事業を展開するスタートアップは数が限られる印象である。

通常、どのような分野においてもスタートアップのエコシステムは日本より海外の方が大きいことから、海外(特に米国を中心に)では日本よりも数多くのスタートアップが生まれる。しかし、解決する課題が明確でないとVC(ベンチャーキャピタル)などの投資家から資金を得ることは難しい。サイバネティクスという言葉自体がかなりシーズ志向であり、解決する課題がやや曖昧であることから、あまり海外でも資金の流入が起こっていないという印象である。

サイバーダイン|「HAL」を開発

サイバーダインは、2004年に筑波大学の山海嘉之教授によって設立された大学発のスタートアップである。

具体的な製品としては、装着型サイボーグ「HAL」がある。HALは、筋電位を読み取り、装着者の意思に沿って動作をアシストする外骨格型のロボットスーツである。HALの活用分野としては大きく医療用、自立支援用、作業支援用の3つが存在する。

メルティンMMI|船上の作業ロボットで技術利用

メルティンMMIは、2013年に日本で設立されたスタートアップである。生体信号処理技術とロボット技術から構成されるサイボーグ技術により、人類を身体的な制約から解放し、誰もが創造性を十分に発揮できる世界を実現することを目指している。

同社は、2018年にヒューマノイド型のアバターロボット「MELTANT-α(メルタント・アルファ)」を発表した。MELTANT-αは人間の生体構造を模した手を備え、遠隔操作(18,900km離れた場所からの操作を実証)が可能で、ロボット側の力覚を人間にフィードバックする能力がある。

同社はこのMELTANT-αをベースとしたロボット製品を展開する。具体的な分野の一例として、船上での遠隔作業が挙げられる。商船三井は2021年、メルティンMMIの技術を導入し、船上などで遠隔操作ロボットの導入を目指すと発表した。船上では危険な作業も多く、人間の作業をロボットで代替させることが期待されている。

PSYONIC|義手「Ability Hand」を開発

PSYONICは、2015年に米国で創業したスタートアップである。同社はバイオニック義手「Ability Hand」を開発し、それをより多くの人々に提供することで、人間であることの意味を再定義している企業である。

Ability Handは、装着者の筋電情報をもとにハンドの指を動かし、コップを掴んだり、筋トレをしたりなどの日常生活を支援する。Ability Handの特長は、力覚フィードバックが備わっていることである。義手の指先には圧力センサが搭載され、力がかかっていることをバイブレーションにより使用者にフィードバックされる。これにより、Ability Handの使用者は、視覚に頼ることなく物体を感じ、握力を調整できる。

ekso BIONICS|外骨格スーツが米国で保険適用の可能性も

ekso BIONICSは2005年に創業した米サンフランシスコのスタートアップだ。医療用途、産業用途、防衛用途での外骨格スーツの生産や研究開発を行う。

医療用途の外骨格スーツで主なユーザーとなっているのは、脳疾患患者や脊髄損傷患者。患者の行動支援や、歩行機能回復のリハビリテーションに用いられている。2023年11月には、米国の医療保険制度であるメディケア、メディケイドの適用を諮る公開会議で同社のEkso Indego Personalへの審議がスタートした。保険適用の判断が下されれば脊髄損傷患者に保険が支払われ、米国民がこの製品にアクセスしやすくなる可能性が出てきた。

Neo Cybernetica|30m$の資金調達

2021年に米国で創業したNeo Cyberneticaは、ウェブサイトにて「十分に技術が進化するまではステルス(隠密)モード」にすることを明言しており、事業内容は明かされていない。しかし、2022年2月にシードラウンドで30m$の資金調達をしており、ステルスモードの解除が待たれる。

サイバネティクスの未来|産業・医療分野からどこまで活用範囲が広がるか

サイバネティクスを応用したプロダクトは、産業における作業の支援、そして医療や介護が必要な人への支援が中心となっている。現実的には当面、こうしたニーズが見えやすい分野がターゲットとなるだろう。

しかし本来は、人間と機械の融合を通じた様々な場面での活用も想定しているのが、サイバネティクスの概念だ。

生体信号の読み取り精度が向上するなど、多方面の技術に変化が起これば、それがサイバネティクスの進化にもつながり得る。そうしたとき、活用の場面が広がっていくことも十分に考えられる。

ちなみに、完全なる余談であるが、「シェーキーの子どもたち―人間の知性を超えるロボット誕生はあるのか」という書籍をご存じだろうか。2001年出版当時、カーネギー・メロン大学ロボット研究所の首席研究者であるハンス・モラベックが書いた書籍である。

これは筆者が、早稲田大学でロボットの心について研究をしていた当時に夢中になった本のうちの1冊だ。

ロボットの進化の過程と未来を予測したものであるが、遠い未来には、人間は自分の身体の一部を機械に置きかえて身体拡張をするようになるかもしれない、という姿が描かれていた。

サイバネティクスの技術が進むと、こうした未来が実現する可能性は十分あるように思える。


参考文献:

※1:「身体で覚える」とは一体どういうことか, JBPress(リンク

※2:導入事例:研削・研磨加工の効率と作業性を向上する、Successorを活用したグラインダーロボットの遠隔操縦, カワサキロボティクス(リンク

※3:CYBERDYNE(リンク

※4:世界初のパワフルかつ器用な手を持つアバターロボット「MELTANT-α」を発表, メルティンMMI(リンク

※5:商船三井、船上で遠隔ロボ導入へ スタートアップと, 日本経済新聞(リンク

※6:PSYONIC(リンク

※7:ekso BIONICS(リンク

※8:Ekso Bionics to Participate at Centers for Medicare & Medicaid Services (CMS) Second Biannual 2023 Healthcare Common Procedure Coding System (HCPCS) Public Meeting on Wednesday, November 29, GLOBENEWSWIRE(リンク

※9:Neo Cybernetica Raises $30M in Seed Funding Round, FINSMES(リンク