視覚・聴覚障害の支援を実現するウェアラブルスタートアップ
世界保健機関(WHO)によると、世界における視覚障害者は22億人以上、聴覚障害者は5億人弱いることが報告されている。全世界の4人に1人は何らかの視聴覚障害を持っている計算である。
このような視聴覚障害に対しては、さまざまな治療法や治療技術の開発が長年にわたり続けられているが、近年はAIなどのテクノロジーを駆使して障害支援を実現する事例が登場するなど障害支援に向けた技術開発も進化を遂げている。
この記事では、視覚障害・聴覚障害の支援を実現する技術開発を行うスタートアップにフォーカスし、その動向について解説していく。
視聴覚障支援を実現するテクノロジーの概要
ここでは、視聴覚障害の支援技術に関する市場が現状どのような状況にあるのか、またどのような技術トレンドであるのかについて解説する。
市場規模・成長率:2030年には100億ドル超へ成長
調査会社のZion Market Res Researchによって行われた市場調査によると、世界の視覚障害者向け支援技術の市場規模とシェア収益は、2021年に約39億米ドルと評価されている。また2022年から2030年までの期間の成長率(CAGR)は13.8%であり、2030年における市場規模は132億ドルになると予想されている。
聴覚障害向け支援技術に関しては、調査会社のFortune Business Insightsによって行われた市場調査において、2021年の補聴器市場が96億8000万ドルと評価されている。また2022年(102億3000万ドル)から2029年(176億8000万ドル)までの期間の成長率が8.1%になると予想されている。
このように視覚障害・聴覚障害の支援技術に関する市場規模は今後さらに拡大していく見込みであり、世界的に平均寿命が伸び続けることが予想される中、将来的に大きな成長が見込まれる技術分野の1つといえるだろう。
注)ただし、上記の市場規模はローテクな技術・デバイスなども含まれており、市場の大部分はそうしたローテクで占められていると想定。AIやウェアラブルが活用されている市場はまだ現時点ではごく一部に留まると考えられるが、今後活用は拡がっていくと想定している。
視聴覚障害支援の先端技術:「ウェアラブル×AIの活用」
今後の成長が見込まれる視聴覚障害の支援技術としては、どのようなものがあるのか見ていくことにしよう。
従来から視覚障害支援には主に眼鏡、聴覚障害支援には主に補聴器に関する技術開発がなされてきた。一方現在の技術開発は、このような技術要素を基としながら、AIやウェアラブルデバイスを介した通信技術を活用して、これまでにないアプローチで視覚障害・聴覚障害を支援していく手法が主流となっている。
視覚障害支援においては、例えば、カメラやセンサーを搭載したスマートウォッチなどのウェアラブルデバイスを活用して障害物などの物体や空間を認知することを支援する技術が開発されている。
また同じく視覚障害支援においては、スマートグラスなどを活用してユーザの視覚能力に応じた映像表示制御を行うことで弱視などの視覚障害を補う技術が開発されている。
一方聴覚障害支援においては、例えば、従来の補聴器がAIなどを活用することでより進化し、ユーザの聴力に応じて音量・音域などを自動的に調整することができるスマート補聴器が開発されている。
その他にも聴覚障害支援においては、骨伝導の原理を利用したヘッドホン型や補聴器型のデバイスなども開発されている。
また今回は詳細には触れないが、視聴覚障害を支援する技術としては、ロボットによる移動支援・行動支援を実現する技術、交通システムなどの社会インフラにAIなどを組み込むことによりユーザの行動・認知支援を実現する技術なども挙げられる。
先端ベンチャー・スタートアップの事例
以下では、視聴覚障害の支援技術を開発する注目のベンチャー・スタートアップ企業を幾つかピックアップして解説する。
視覚障害者の移動を支援するスマートグラス:Biel Glasses/ スペイン
Biel Glassesは、2017年に設立されたスペインバルセロナを拠点とする企業であり、弱視などの視覚障害を補うスマートグラスの開発を行っている。同社は、弱視の子どもの両親である二人の創業者によって設立された。
スマートグラスは、2021年からパナソニックと共同で開発が行われている。
同社が開発するスマートグラスは、障害物、地面の変化、信号機などを知覚し、シグナルを送ることで、弱視などの残存視力がある視覚障害者の移動性を向上させることを目的としている。
スマートグラスは、キャプチャモジュール、処理モジュール、ディスプレイモジュールから構成されている。キャプチャモジュールでユーザの視野を捉え、処理モジュールにおいてプロセッサを通じてアルゴリズムが情報を分析しディスプレイモジュールに信号を送信する。ディスプレイモジュールは、ユーザの残存視力に適応させ、ユーザが認識できるレベルの画像信号で障害物などを表示する。
このように同社のスマートグラスは、ユーザごとの状態や各瞬間に適応するソリューションを提供するものであり、視覚障害者の視力を補うとともに、ユーザの生活の質を向上させることを目的として設計されている点に大きな意義と特徴がある。
実用化に関する情報は現時点では発信されていないが、同社はこのデバイスをCES2023に出展していることから、商用化に向けた今後の動きが注目される。
「見ること」を補う視覚障害向けハンドヘルド型デバイス:Orcam/ イスラエル
Orcamは、Mobileyeを設立した2人の創業者によって2010年に設立された企業である。
同社は、カメラで読み取った文字などの情報を音声でユーザに伝達するハンドヘルド型のAI搭載のウェアラブルデバイス「Orcam MyEye」の開発を行っている。
このデバイスは、本や画面のテキストをスキャンすることで即座に読み取り文字を認識するだけでなく、家族や友人などの顔をシームレスに認識し、対象物(製品、紙幣、対象物の色など)を正確に識別してリアルタイムの情報を伝達できる点に特徴がある。
デバイスは、ユーザが普段かけている眼鏡にシームレスに装着できるように設計されており、ユーザの日常生活の中で自然に視覚を補完することができる。
また音声認識機能も搭載されており「Hey Orcam」と話し、直感的な音声コマンドを話すだけで、画面操作や、アプリ、クラウド接続を行わずに、デバイスを作動させることや、各種設定にアクセスすることができる。
このデバイスを装着することで失明や弱視などの視覚障害者の視覚がサポートされるので、それまで不自由を強いられていたユーザの生活や行動が改善される。
同社は、2021年に10億ドル規模のIPOを検討していると報道されており(その後の情報が発信されていない)、同社の動向が注目される。
「音で見る」技術で視覚障害を支援するソリューション:Eyesynth/ スペイン
Eyesinthは、2014年に設立された視覚障害の支援技術を開発する企業である。
同社は、マイクロコンピュータに接続された眼鏡型の視聴覚デバイス「NIIRA」を開発している。
このデバイスは、周囲の空間をサウンドに変換できるシステムを搭載し、視覚データを聴覚データに変換することで視覚障害をサポートすることができる。
デバイスは、三次元で空間を認識し、形状と空間を識別でき、深さを測定することで対象物の位置を正確に特定することができる。認識された情報はすべて音声言語へと変換され、蝸牛オーディオシステムにより骨伝導によりユーザの耳に届けられる。耳を塞がないので、ユーザはデバイス経由以外の周囲の音を聞くことができる。
空間認識にはトレースとパノラマの2つのモードが用意されている。トレースモードでは、画像の中心部のみが分析され、認識したい空間方向に頭の向きを変える必要がある。一方、パノラマモードでは、一度に全視野をカバーすることができ、左右や背景、近くにある物体など広範囲に空間を認識することができる。
また、1~5メートルの範囲で適用する距離を設定することができ、屋内、屋外などの周辺環境の違いで適宜調整することもできる。
このデバイスは、既に市場販売されており、現在はスペイン国内でのみ入手することができる。
自動適合できる聴覚障害向け小型スマート補聴器:Eargo/米国
Eargoは、2010年に設立された企業であり、自己調整型のスマート補聴器を開発する。
このスマートデバイスは、旧来型の補聴器における嵩張りやすい大きさや音質の悪さといった課題を解決し、小型でユーザの聴力などの状態に合わせて最適な高音質の音を出力できることを特徴としている。
デバイス(補聴器)は、一般的な補聴器よりも大幅に小型化されており、耳にかぶせるのではなく、耳の中に挿入することで装着するので、補聴器の装着が目立ちにくい。
また、サウンドスケープ(音環境)に合わせて音質・音量などを自動調節することができるので、細かな音設定を必要としない。
またデバイスはスマートフォンのアプリと連動しており、アプリ上の操作でもユーザの希望に応じた聴覚に適宜設定することができる。
同社のデバイスは、2022年にFDAの許可を取得し、同年から現在米国市場で一般販売されている。
AIエンジンを搭載した学習型補聴システム:Whisper/米国
Whisperは、2017年に設立された聴覚支援システムを開発する企業である。
同社が開発するシステムは、音を制御するデバイス「Whisper Brain」とイヤホンとデジタルプラットフォームで構成されている。
Whisper Brainは、同社ならではの特徴的なデバイスであり、AIを使用して継続的な改善とクラス最高のサウンドを提供するワイヤレスパワーハウスとして機能する。デバイスには、サウンド分離エンジンが搭載されており、AIアルゴリズムを使用して音をリアルタイムで処理し、周囲に合わせて最適化することができる。
イヤホンは、遅延のないリアルタイムの音質向上を可能にするように設計されている。
デバイスの操作は、アプリ上で実現されたデジタルプラットフォームで行う。ユーザがアプリを操作することにより、ユーザの希望に負わせた音の調節を行える。ソフトウェアはアップグレードされるので、新しい機能追加など補聴器としての性能を更新することできる。
同社は、2020年に3500万ドルに及ぶシリーズBの資金調達を行い、同時に補聴器システムの市場投入を開始している。現在はサブスクリプションサービスにより同社製品を使用することができる。
独自のサウンドスコープ技術を活用した聴覚支援システム:Concha Labs/米国
Concha Labsは、2017年に設立されたスマート補聴器を開発する企業である。
同社のデバイスは、すべての音声がはっきりと聞き取れるようにすることに重点をおいた設計がなされており、独自開発のAIアルゴリズムによってそれを実現している。一例として挙げれば、AIアルゴリズムは音素 (子音と母音) の頻度に基づいて文章を判定することができる。
また片耳ごとに5分のユーザテストを実行することで、周波数、音量などの要因を考慮し、個々で異なる聴覚を膨大な組み合わせの中から、ユーザ独自のサウンドプロファイルをカスタマイズすることができる点も特徴といえるだろう。
そしてデバイスの中核を担うのは「サウンドスコープ(soundscope)」と呼ばれる技術であり、特許取得済みの技術が組み込まれたソフトウェアにより、高い品質の聴覚体験やリアルタイムの聴覚出力が実現されている。
現在のところ、製品の正式販売はされていないが、同社ウェブサイト上でサウンドスコープ技術による聴覚体験ができるようになっている。
まとめ
本記事では、視聴覚障害の支援技術の市場概要、さらに先端的な支援技術を開発するスタートアップ・ベンチャー企業について整理した。
視聴覚障害の支援技術は成長分野であり、世界的な高齢化が進んでいく将来においては、これまで以上に需要が高まっていくと予想される。
現在開発されているデバイスやシステムは、スマートグラスやスマート補聴器といった、従来からある視覚障害・聴覚障害を支援する器具をベースにしながら、AI技術、ワイヤレス技術を活用することで、ユーザごとにカスタマイズされた、より使い勝手のよいものへと進化を遂げている。
近年AIの進化が顕著であることから、視聴覚障害の支援技術においても現状からの更なる進化やブレークスルーが大いに期待される。
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