特集記事

量子コンピューターの6方式と注目のスタートアップ|量子コンピューターについて その1

INDEX目次

量子コンピューターは特定の計算を古典コンピューターよりも速く実行できると言われており、実用化に向けて開発が進められてきた。しかし、さまざまな仕組みの量子コンピューターが開発されており、今のところどの方式が主流となるかは判断できない状況だ。

本稿では、量子コンピューターの6つの方式について取り上げるとともに、注目のスタートアップを紹介する。

方式ごとの特徴|イオントラップ、中性原子など6方式

量子ビットの実装形態としてはさまざまな方式があり、それぞれにメリットやデメリットが存在する。今のところ先行して開発が進んでいるのがイオントラップ方式と超伝導方式だ。

もっとも、中長期的に先行きを見れば、どの方式が主導的になるかは不透明だ。主導権を握るには、「量子誤り耐性」の獲得と100万量子ビッドの集積を実現することが必要だと受け止める向きがある。

6つの方式が何を量子ビットとし、どのように相互作用しているのかに注目して、各々の特徴と実装事例を紹介していく。

編集部制作


イオントラップ

イオントラップ方式は、イオンを補足して真空中に閉じ込め、量子ビットとする方式だ。レーザーパルスで状態を遷移させることができ、量子ビット同士はクーロン力によって相互作用する。

イオンは高真空中で電磁的に捕捉される。10分を超えるような非常に長いコヒーレンス時間を持ち、量子状態を長く維持できる。

本方式については2024年4月、Microsoftと Quantiuumの共同研究チームから、エラー検知機能を有し、信頼性の高い量子コンピューターの実証試験結果が報告された。本実証では、全32中30の量子ビットを用い、エラーなく 1万4000回の計算に成功している。

中性原子

レーザーによる光ピンセット技術で電気的に中性な原子をトラップし、量子計算に利用する試みもある。

イオントラップの場合はクーロン力によって量子ビット同士が相互作用するが、中性原子の場合、そのままではほぼ相互作用をしない。そのため、最外殻電子を高い主量子数の軌道に励起したリュードベリ原子が用いられる。

リュードベリ原子は全体としては電気的に中性であるが、原子核と電子の距離が 100ナノメートル程度と長大になり、大きな電気双極子を形成する。励起状態を制御することで周囲との相互作用の程度を調節できることが本方式の大きな特徴だ。

まだ登場して間もない技術だが、スタートアップらによる量子コンピューターへの実装も報告されている。

ハーバード大学、QuEra Computing、マサチューセッツ工科大学(MIT)、NIST/UMDらの研究グループは、2023年12月に 48の論理量子ビットを有し、誤り訂正が可能な中性原子量子コンピューターを実装し、結果を Natureにて発表した。

フランスのPasqalはサウジアラビアのエネルギー・化学企業であるAramcoに対し、2025年後半までに200量子ビットの中性原子量子コンピューターを設置し、保守・運用を行う旨の契約を締結した。

ダイヤモンドNVセンター

ダイヤモンドは炭素の結晶であるが、本来炭素があるべき場所が窒素に置換されると、窒素の隣に空孔が形成される。この窒素(Nitrogen)と空孔(Vacancy)がペアになった欠陥は「NVセンター」と呼ばれる。

NVセンターに捉えられた電子スピンや核スピンはダイヤモンドの強固な結晶に守られているために量子状態が崩れにくい。レーザー光によってNVセンターにあるスピンにアクセスでき、NVセンター内の電子スピンや核スピンは他のNVセンターのスピン状態と相互作用するため、量子ビットとして利用できる。

ダイヤモンドNVセンターの実用例としては、矢崎総業と東京工業大学の共同研究によりダイヤモンド量子センサーが開発されている。高精度の電流の計測ができるもので、電気自動車(EV)のバッテリー性能向上への活用が期待される。

また、富士通とデフルト工科大学(オランダ)も、ダイヤモンドNVセンターによる量子コンピューターの研究拠点として、デフルト工科大内に「Fujitsu Advanced Computing Lab Delft」を開設することを2024年1月に発表した。

光/フォトニクス

光量子はデコヒーレンス(コヒーレンスとは反対に、量子の干渉性が失われる状態)がなく、ノイズに高い耐性を持つという特徴から量子ビットへの応用が研究されてきた。

光量子ビットでは偏光、伝搬経路などの自由度が活用されるが、必ずしも2値(0と1)の量子ビットではなく、多値量子ビットによる量子計算も研究されている。ただし、多値量子ビットはエラー率と光学コンポーネントの数を指数関数的に増加させるため、スケールが難しい点は課題となっている。

これまで培われてきた光学測定、光通信関連の技術が応用できるという利点がある。

別の課題として、光子は1カ所に留めておくことができず、常に移動しているため、状態の測定法も他とは異なる。厳密に光学系を構築しても途中で見失ってしまうことは避けられない。

また、光量子同士は基本的に相互作用をしないが、量子コンピューターには量子ビット同士の相互作用が必要だ。これは量子コンピューターに特有の要請であり、過去の光学研究からの蓄積も多くない。

一言で光量子コンピューターと言っても、光検出、光子の生成、光量子ゲートなどのコンポーネントを見ていけばその方式はさまざまで、将来に向けてスケーラブルな方式が模索されている段階だ。

光量子コンピューターを開発する企業の例として、米国の

が挙げられる。2016年の設立ながらすでに$1.3b(約1919億円)を調達し、ユニコーンとして期待されるスタートアップだ。2024年4月には、オーストラリアのブリスベン空港近くに実用レベルの量子コンピューターを設置することを発表し、同時にオーストラリア連邦政府、同国クイーンズランド州政府から助成金などを含めAUS$940m(約924億円)を調達したと明らかにした。

超伝導

フェルミ粒子である電子はパウリの排他律に従い、物質中で同じエネルギー状態を取り得ない。しかし、極低温では電子がフォノンを介してペアを作り、ボソンとなって最低エネルギー状態に凝集することがある。

同じ量子状態に存在する電子はすべて同じ波動関数を有し、これをマクロに見ると電気抵抗がゼロになる(超伝導現象)。回路中で電子が取り得る状態を制御すれば、凝集した多数の電子集団が占有する2準位系を形成でき、これを量子ビットとして活用することが可能だ。

トラップされたイオンや中性原子、ダイヤモンドNVセンターとの大きな違いは、多数の電子が1つの量子ビットを形成する点にある。このようにマクロな電子集団からなる量子ビットはコヒーレント状態を維持することが難しいという欠点を持つ一方で、周囲と強く相互作用し、高速な量子計算が実行できる。

また、他の量子ビットと異なり、電子が取り得るエネルギー状態を好ましいものに制御できる。つまり、イオンや中性原子、ダイヤモンドNVセンターのエネルギー準位はその物質に固有のものであり変更できないが、超伝導量子ビットはこのエネルギー準位がプログラマブルだ。ただ、逆に言えば、製造プロセスから不完全さが生じる可能性もある。

IBMは超伝導量子コンピューターの研究を主導してきた。2024年には 1000個以上の超伝導量子ビットを持つ量子プロセッサーである Condorを発表している。

半導体

半導体製造技術を用いた量子コンピューターの実現に向けては、日本の産業技術総合研究所(産総研)や理研が高い技術力を有し、分野をリードしている。企業としての事例は見られないが、将来的に日本企業がイニシアチブを握る可能性を秘めた技術だ。

量子ビットとなるのは単一電子のスピン状態で、これを電界効果トランジスタ(FET)などによって精密に操作して量子計算を行う。電子を制御する半導体デバイスには既存の半導体製造技術が応用できることから、大規模な集積化が可能になるという期待が大きい。

現在は電子を輸送する方法や、電子のスピン状態を観測する方法、電子同士を干渉させる方法について研究が進められており、超伝導方式やイオントラップ方式の後を追う形となっている。

資金調達額の大きいスタートアップ3社

ここからは量子コンピューターの分野でスタートアップについて、見てみたい。crunchbaseで資金調達総額が大きい3社を取り上げる。

編集部制作


PsiQuantum

前述の通り、PsiQuantumは$1.3b(約1919億円)を調達しており、量子コンピューターを開発するスタートアップの中では大きな期待を受ける企業となっている。

PsiQuantumは量子分野の4人の研究者によって2016年、設立。フォトニクス技術を活用した光量子コンピューターを開発する。CEOのJeremy O’Brien氏は西オーストラリア大学、クイーンズランド大学の博士研究員であり、米国企業ながらオーストラリアとの結びつきが強いのはこのあたりが理由であるようだ。

シリーズC調達ラウンドでは東京エレクトロンのコーポレートベンチャーキャピタル(CVC)であるTEL Venture Capitalが、シリーズD調達ラウンドでは個人向け投資信託の販売でも知られるBlackRockが出資している。

IonQ

IonQは社名からも分かるように、イオントラップ方式の量子コンピューターを開発する。デューク大学の2人の教授が2015年、創業した。現在は、AmazonでPrime事業のエンジニアリングディレクターを務めていたPeter Chapman氏がCEO、ロケットの開発などの実績があるDeen Kassman氏がエンジニアリング・テクノロジー担当のシニアバイス・プレジデント(SVP)となっている。

2021年にニューヨーク証券取引所(NYSE)上場。上場後も起亜自動車やGoogleのCVCであるGoogle Venturesが株式を保有している。

IQM Quantum Computers

IQM Quantum Computersは2018年、アールト大学とVTT Technical Research Centre of Finland(フィンランドの国立研究機関であり企業)からのスピンアウトとして設立。超電導のアプローチで量子コンピューターを開発する。

2024年2月には、ヨーロッパ連合(EU)の関連機関であるヨーロッパイノベーション会議(EIC)からの助成金を受給。金額は明かされていない。EICは2022年のシリーズA調達ラウンドでも同社に出資している。

まとめ

6つの方式を紹介した箇所で、「量子誤り耐性の獲得」「100万量子ビッド」を達成した方式が主導的となるという見方を取り上げた。これらを達成するのは2030年頃と考えられている。

量子コンピューターについては、別の記事でユースケースを取り上げる。


参考文献:
※1:究極のコンピュータへ「もう一つの道」 イオンで可視化する量子情報,ResOU(リンク
※2:Trapped-Ion Quantum Computing: Progress and Challenges, Jeremy M. Sage他, arXiv(リンク
※3:MicrosoftとQuantinuumの共同研究チームが信頼性の高い論理量子ビットに関する画期的な実証実験の結果を発表, Quantinuum(リンク
※4:Many-Body Physics with Individually-Controlled Rydberg Atoms, Antoine Browaeys他, arXiv(リンク
※5:冷却原子を用いた量子シミュレーション- リュードベリ原子編 –, 富田隆文(リンク
※6:ハーバード大学、QuEra、MIT、NIST/メリーランド大学が、48個の論理量子ビットを用いて誤り訂正量子アルゴリズムを実現し、量子コンピューティングの新時代を先導, QuEra Computing, PR TIMES(プレスリリース)(リンク
※7:Logical quantum processor based on reconfigurable atom arrays, Mikhail D. lukin他, Nature(リンク
※8:アラムコ、サウジアラビア王国初の量子コンピューター導入に向けPasqalと契約締結, Aramco(リンク
※9:NV 中心の物理と応用への魅力, 水落憲和, 『応用物理』2018年4号(リンク
※10:電池の充放電電流を広い電流レンジで高精度に計測するダイヤモンド量子センサを世界で初めて開発, 東京工業大学(リンク
※11:富士通とデルフト工科大学、量子技術を基盤とする先端コンピューティング技術の発展に向けた産学連携拠点を設置, 富士通(リンク
※12:Photonic quantum information processing: A concise review, Geoff J. Pryde他, 『Applied Physics Review』2019年4号(リンク
※13:PsiQuantum to Build World’s First Utility-Scale, Fault-Tolerant Quantum Computer in Australia, Business Wire(プレスリリース)(リンク
※14:Logical states for fault-tolerant quantum computation with propagating light, 古澤明他, Science(リンク
※15:伝搬する光の論理量子ビットの生成 ―大規模誤り耐性型量子計算への第一歩―, 東京大学(リンク
※16:A quantum engineer's guide to superconducting qubits, W. D. Oliver他, AIP Publishing(リンク
※17:量子ユーティリティー時代のハードウェア/ソフトウェアがここに, IBM(リンク
※18:電子1個を精密に飛ばして広がる量子電子光学の世界, 産総研マガジン(リンク




【世界の量子コンピューターの技術動向調査やコンサルティングに興味がある方】

世界の生産技術の技術動向調査や、ロングリスト調査、大学研究機関も含めた先進的な技術の研究動向ベンチマーク、市場調査、参入戦略立案などに興味がある方はこちら。

先端技術調査・コンサルティングサービスの詳細はこちら




  • 記事・コンテンツ監修
    小林 大三

    アドバンスドテクノロジーX株式会社 代表取締役

    野村総合研究所で大手製造業向けの戦略コンサルティングに携わった後、技術マッチングベンチャーのLinkersでの事業開発やマネジメントに従事。オープンイノベーション研究所を立ち上げ、製造業の先端技術・ディープテクノロジーにおける技術調査や技術評価・ベンチャー探索、新規事業の戦略策定支援を専門とする。数多くの欧・米・イスラエル・中国のベンチャー技術調査経験があり、シリコンバレー駐在拠点の支援や企画や新規事業部門の支援多数。企業内でのオープンイノベーション講演会は数十回にも渡り実施。

CONTACT

お問い合わせ・ご相談はこちら